実績十分でも越えられなかった「選手マネジメント」という壁
シャビ・アロンソの解任を、単純に「失敗」と片付けるのは軽率すぎる。
監督としての実績、戦術理解、将来性。
そのどれを取っても、彼は欧州トップクラスの評価を受けてきた。
それでも、レアル・マドリーは彼を解任した(双方合意と報道されているがシャビ・アロンソが受入れるしか無かったのではないか)。
なぜ“無敗優勝監督”が、このクラブで生き残れなかったのか。
正解は不明だが戦術ではなく結果でもない。
考えられるのは選手たちとの関係――
在任期間中は監督と選手の衝突は何度も報道されてきた。火のないところに煙は立たない。つまり選手たちとの関係をマネジメントできなかったのだ。「人をどう扱うか」という、マドリー特有の難題だったのではないだろうか。
シャビ・アロンソの監督実績は十分すぎるほどだった
まず前提として、シャビ・アロンソは、監督としての能力不足を疑われる存在ではない。
レバークーゼン時代、彼は停滞していたチームを短期間で変貌させた。
ポジショナルプレーを軸にした明確な戦術を浸透させ、若手と主力を融合させながら、結果を出し続けた。それはゲームを観ても明らかだった。
無敗優勝、国内タイトル。
それらは偶然ではなく、構築されたチームの成果だった。
もし問題が戦術理解や采配にあるなら、
彼がここまで高く評価されることはなく、実績を残すこともできなかったはずだ。
さらに就任直後のマドリーはだからこそ、マドリーでの解任は不可解に映る。
そして同時に、理由は別のところにあると考える方が自然だ。
マドリーで求められるのは「正しさ」ではない
レアル・マドリーは、特殊なクラブだ。
世界最高峰のスター選手たちが集まり(今のメンバーではそうともいえないが)、
ロッカールームには常に複数の“中心”が存在する。
ここで監督に求められるのは、
最も合理的な戦術を提示することではない。
スター選手をどう納得させ、どう委ねるか。
レバークーゼンでは、監督の言葉は絶対だった。
戦術を理解し、実行できなければピッチに立てない。
しかしマドリーでは違う。
選手たちはすでに完成された存在であり、
「教えられる側」ではなく「共に選ぶ側」だ。
シャビ・アロンソの成功体験が、
そのまま通用する環境ではなかった。
噛み合わなかった選手マネジメント
シャビ・アロンソは、理論的で誠実な指導者だ。
役割を明確にし、理由を説明し、納得を得ようとする。
だが、スター選手にとって
その「明確さ」は時に制限として映る。
・なぜ自分が外されるのか
・なぜ役割が固定されるのか
・なぜ自由を制限されるのか
説明はされた。
だが、感情まで完全に汲み取れていたかは分からない。
マドリーのロッカールームでは、
尊敬されることと、従われることは別だ。
シャビ・アロンソは尊敬されていた。
しかし、全員を完全に“預けさせる”ところまでは到達できなかった。
それが積み重なり、クラブは早い決断を下したのではないだろうか。
なぜアンチェロッティとジダンは成功したのか
マドリーで成功した指揮官と比較するのは有効だ。
アンチェロッティは、細かく指示しない。
選手を信頼し、選択を委ね、失敗しても公の場では守る。
ジダンは、戦術家というより調整役だった。
元スターとして選手の立場を理解し、
言葉よりも空気でチームをまとめていた。
彼らに共通するのは、
支配しないマネジメントだ。
シャビ・アロンソは、
「正しく導こう」とした。
だがマドリーでは、
「任せきる勇気」の方が求められていた。
シャビ・アロンソは失敗したのか?
彼の挑戦を失敗と断じるのは簡単だ。
だが実際には、
能力が足りなかったわけでも、結果が出なかったわけでもない。
ただ一つ、
マドリーというクラブに適応するためのマネジメントが噛み合わなかった。
それだけの話だ。
解任が示す、レアル・マドリーの本質
レアル・マドリーは、
世界最高のクラブであると同時に、
最も指揮官に厳しいクラブでもある。
ここでは、
優れた戦術家であるだけでは足りない。
人を扱い、空気を支配し、スターを納得させ続けなければならない。
シャビ・アロンソは準備不足だったのではない。
マドリーが、彼の成長を待たなかった。
それが、この解任の本質なのかもしれない。



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